――サクラと、そして今を生きるもみじへ


📝 目的文/Purpose of This Post

この記事では、「保護猫の日」に感じたことをきっかけに、
祖父の命に対する選択、サクラとの別れの記憶、
そして今、一緒に暮らす柴犬・もみじとの日々を通して、
“命を引き受ける”ってどういうことかを、静かに見つめ直しています。
同じように、大切な存在と向き合っている方に届いたら嬉しいです。

This post reflects on what it means to take responsibility for a life—from beginning to end.

Inspired by Japan’s Cat Protection Day,
I look back on a difficult decision my grandfather once made,
the farewell to my first dog, Sakura,
and the quiet, gentle days I now spend with Momiji, my Shiba Inu.

If you’ve ever loved and cared for someone who can’t speak for themselves,

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🌱 冒頭文/Intro

「命を守る」って、どういうことなんやろな――
そんなことを、ふと考えた日があった。

きっかけは、なんてことない日常やった。
SNSで流れてきた小さな話題。「5月25日は保護猫の日」。

うちは猫やないけど、柴犬のもみじと暮らしてる。
ただ横で寝てるだけのこの子を見ながら、
気づいたら、「守る」ってなんなんやろって、考えてた。

What does it really mean to “protect life”?
That question quietly came to me—not during some big moment, but in the middle of an ordinary day.

I happened to see a small post online.
“May 25th is Cat Protection Day in Japan.”

I don’t have a cat, but I do live with a Shiba Inu named Momiji.
And while she lay beside me, quietly sleeping,
I found myself wondering—what does it really mean to protect someone?


目次

  1. 🐾 第1章:命を守るって、どういうことなんやろな
  2. 🐾 第2章:野良猫は、まだそこにおる
  3. 🐾 第3章:祖父が選んだ“命の判断”
  4. 🐾 第4章:“保護”という言葉のうしろ側で
  5. 🐾 第5章:最後まで見届けること
  6. 🐾 第6章:サクラの涙、もみじのぬくもり
  7. 🐾 まとめの問いかけ

🐾 第1章:命を守るって、どういうことなんやろな

5月25日は「保護猫の日」らしい。

うちは猫やないけど、柴犬のもみじと暮らしてる。
でも、“守る”ということを考えたとき、
猫や犬の種類なんて、関係ない気がした。

子どもの頃、犬を飼ったことはなかった。
それやのに、記憶の奥に――
でっかい犬の背中にまたがってたような、自分の姿がある。

たぶんあれは野良犬やったんやと思う。
僕が子どもやったから、実際よりも大きく見えたんやろな。

あの背中のぬくもり、妙によう覚えてる。


🐾 第2章:野良猫は、まだそこにおる

昭和50年代。まだ町には野良犬がいた。

今では、野良犬なんてまったく見かけへん。
いなくなったことが、まるで最初から「いなかった」かのような時代。

でも、野良猫は――まだそこにおる。

なんでなんやろ?って、ふと思った。

犬は、狂犬病のワクチンや登録が義務づけられてて、
首輪がなかったら「野良や」ってすぐ分かる。
でも猫には、そういうルールがない。

それに、猫は吠えへんし、近所迷惑にもなりにくい。
たとえ野良でも、「かわいいなあ」と思われて、そのまま見過ごされることも多い。

いつのまにか、「誰のでもない命」が、当たり前にそこに居場所を持ってしまってるんかもしれへん。

野良猫は、“見逃されてきた命”なんやと思う。
誰にも引き受けられへんかった命の続きが、そこにある。

僕らは、見えてるのに見えへんふりをしてる命と、どう向き合ったらええんやろな――。


🐾 第3章:祖父が選んだ“命の判断”

僕の親から、昔こんな話を聞いたことがある。

家で飼っていた犬が出産して、子犬が生まれた。
でも育てきれんから、祖父が石で頭を叩いて殺したんやって。

今の感覚では考えられへん話。
でも当時は、それが「家族を守るための選択肢」やった。

放したら野犬になって危ない。
飼えない命を放置すれば、もっと不幸になる。

昔の人は、命を軽く扱ってたんやなくて、
「生きるために仕方なく選ぶ」という重さと向き合ってたんやろう。


🐾 第4章:“保護”という言葉のうしろ側で

ちなみに、「保護猫の日」は2020年に“ねこ検定実行委員会”が制定した記念日や。
日本では、年間およそ2万匹以上の猫が行政の施設で殺処分されてるという。
そのほとんどが、飼い主に捨てられたり、野良として生まれた命や。

今は、「保護犬」や「保護猫」って言葉がある。

飼えなくなった動物たちは、保健所やセンターに持ち込まれて、
新しい家族を探す。誰かに“救われる”ことを待ってる。

でも実際には、処分されてしまう命も多い。

命の“終わり”は、保健所の奥のほうや、誰も見ない場所にあるんやろな。

スーパーで買う肉と同じや。
誰かが血を見て、殺して、きれいにパックされたものだけが、僕らの目に届く。

命の終わりを、自分の目で見ることがなくなった。
それと引きかえに、命の重みも少しずつ薄まってるんかもしれへん。


🐾 第5章:最後まで見届けること

命を迎えるだけやなくて、
その命の終わりにちゃんと立ち会い、受け入れること。
それが、僕らにできる“最後の責任”なんやと思う。

もしかしたら――
誰かの命にちゃんと立ち会うことで、
僕らは“命と生きることの意味”を少しだけ実感できるんかもしれへん。

だから今日も、もみじの寝顔を見ながら、そっと思う。
この命と、ちゃんと最後まで一緒におらなあかんなって。
前に飼っていたサクラと、同じように。


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🐾 第6章:サクラの涙、もみじのぬくもり

サクラを飼っていたときは、いつか死ぬなんて、あんまり実感できてへんかった。
でも、ほんまにその日が来たとき――
あまりのショックで、誰にも見られへんようにトイレで泣いた。

そのとき初めて、「命って、ほんまに終わるんやな」って思った。
だからこそ今は、もみじの命に、ちゃんと最後まで寄り添いたいと思ってる。

サクラのときは、初めてやったから、しつけとか気にして、ちょっと厳しくしてたかもしれへん。
でも今は、もみじのことをめっちゃ甘やかしてる。
撫でて、話しかけて、一緒におる時間を大切にしてるんや。

いつも一緒にいてくれて、ほんまにありがとう。
それだけで、今日という日が少しあたたかくなる気がする。



🐾 まとめの問いかけ

命を迎えるときは、笑顔や希望がある。
でも、その終わりに向き合うとき――
僕らは「守る」って、どういうことかをほんまに問われる気がする。

もみじと過ごす日々のなかで、
僕はようやく、“命を引き受ける”という意味を、少しずつ学んでる気がする。

僕らは、見えてるのに見えへんふりをしてる命と、
どう向き合ったらええんやろな――。


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