読了時間:約10分
こんにちは、ひろしです。
最初に白状しておきます。
「山本理顕展」に行ったのに、展示より外の景色の方が長く見てた。
建築展やで。建築家の展覧会やで。
でも後から調べたら、それが山本理顕の狙いそのものやったとわかった。
そういう話です。
こんな人に読んでほしい
- 建築に詳しくないけど、美術館はなんとなく好きな人
- 「隣の人の名前、知らんな」とふと思うことがある人
- 犬を連れて出かけるたびに「ごめんな」と思いながら美術館に入る人
- 山本理顕ってプリツカー賞を取ったらしいけど、何がすごいのかよくわからない人
- 妻と出かけると、気づいたら別行動になっている人(僕だけかもしれん)
結論:横須賀美術館の基本情報(2025年10月実訪・実測)
| 休館はいつまで? | 改修工事のため2026年8月頃まで長期休館中。再開時期は公式の休館お知らせで要確認 |
| 所要時間 | 展示ゆっくり見て約1時間+建物・屋上テラス散策で30分。合計1時間半が目安 |
| 設計 | 山本理顕(2024年プリツカー賞受賞)。建物そのものが最大の見どころ |
| 駐車場 | 地下駐車場あり(美術館利用で割引) |
| 犬連れ | 館内は不可。帰りに海沿いの散歩コースあり(観音崎方面) |
| 場所 | Googleマップで開く(横須賀市鴨居・観音崎のすぐ近く) |
結論その2(先に言うておきます)
山本理顕は、建物の形を設計してたんじゃなくて、人と人のつながり方を設計してた人やと思う。
その証拠に、彼が設計した美術館の中にいると、建築より景色や人が目に入ってくる。
それ、狙ってやってたらしい。
目次
- もみじを駐車場に置いて来た
- 入口に着く前に、すでに景色が良かった
- 屋上テラスの床が、光を通してた
- 展示に入ったら、正直、写真の方が長く見てた
- 「LIVING IN THE CITY」というドローイングで、止まった
- 「しきい」という言葉が、全部をつないだ
- GAZEBO:自分の家をここまで考えるんかい
- 模型がどんどんスケールアップしていった
- 美術館を出てから、やっとわかった
- まとめ
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もみじを駐車場に置いて来た
2025年の秋。妻と柴犬のもみじを連れて横須賀に向かってた。
「どっかに行こう」と言い出したのは僕やった。もみじも車の中ではしゃいでた。「お出かけ!お出かけ!」という顔をしてた。
横須賀美術館の駐車場に車を停めた瞬間、気づいた。
犬、入れんやん。
もみじはシートの上でしっぽを振ってた。「次は何?どこ行く?」という顔をしてた。
「……ちょっと待っといてな」
10月の涼しい日で、車内の温度も問題なさそうやったので、短時間だけ待ってもらうことにした。
もちろん、暑い日や長時間なら絶対に避けるべきことやと思う。
ちなみに駐車場は地下やった。
つまりもみじ、地下で待機。
もみじはくるっと丸くなって、5秒後には寝てた。
寝るの早すぎるやろ。
その速さが、なぜかよけいに申し訳なかった。
「帰りに散歩しような。絶対な」
返事はなかった。もう夢の中やった。
入口に着く前に、すでに景色が良かった
美術館に向かって芝生の広場を歩いていく。
海が見える。曇り空。木々が風に揺れてる。
「……もうここでええんちゃうか」
入口すら着いてないのに、そう思った。
白くて静かな建物が、海と山に挟まれて立ってた。
主張がない。「ここが美術館です!」という圧力がない。
後から知ったんやけど、この建物の大部分は地中に埋まっているらしい。塩害対策のために、建物をわざわざ土の中に隠した設計やと。
なるほど。だから目立たへんのか。
そういえば、駐車場も地下やった。
この美術館、全部地下に引っ込んでるな。
目立とうとしてへん建物が、なぜかすごく気になった。


屋上テラスの床が、光を通してた
屋上テラスに出た。
グレーの網目状の床が広がって、その先に海が見える。曇りやったけど、それがかえって落ち着いてよかった。
別の場所に行くと、足元の床が半透明の薄緑色のパネルになってた。
下から光が通ってる。
「これ、床やのに光通してるやん」
踏んでみた。なんも起きんかった。でも不思議な感じがした。
後でわかったんやけど、このパネルの下にはギャラリーがあり、屋上からの自然光を下の空間へ届けるような構造になっているらしい。
外を歩く人の気配や、上から落ちる光まで含めて、美術館の体験になっているように感じた。
「おもしろいな」と思った。この時点では、まだその意味をちゃんとわかってへんかった。


展示に入ったら、正直、写真の方が長く見てた
「山本理顕展 コミュニティーと建築」。壁に青い文字でシンプルに書かれてた。
妻は「あっちも見てくる」と言って、別の方向に歩いていった。
僕は展示室に入った。白くて細かい模型がずらっと並んでた。
「おお、細かっ」
模型の中を覗くと、2センチくらいの人形が立ってた。廊下に2人、なんとなく向き合ってた。
「……話してる?」
そこでふと思った。
「この模型だけでお金取れるやん」
ほんまにそう思った。1つの模型に費やされた手仕事の量が、見てるだけでわかった。
ただ正直に言うと、僕が一番長く見てたのは模型じゃなくて、壁に飾られた写真や画像やった。
実際に建てられた建物の写真。スケッチ。ドローイング。
模型は「設計の頭の中」を見せてくれる。でも写真は「実際にそこに人が住んでいる」ことを見せてくれた。
「ここに、人がおるんやな」
それが、なんか刺さった。


「LIVING IN THE CITY」というドローイングで、止まった
写真の奥に、額装されたドローイングがあった。タイトルは《LIVING IN THE CITY》。
どこか古い都市のような雰囲気の中に、細長い塔や建物が重なり合って描かれていた。
人が住んでる。すごく高いところに。
「なんやこれ、面白い」と思った。
これは山本理顕が「都市に住むこと」を想像して描いたドローイングらしい。
建物の形より先に、「人がどんな距離感で重なって住むのか」を考えた。それがこの人の出発点やったとわかった。


「しきい」という言葉が、全部をつないだ
展示を見ていくうちに、一つのキーワードが浮かんできた。
「しきい」。家の内と外の境目のこと。
ふつうは「線」として捉える。ここから内、ここから外、という区切り。
でも山本理顕は、そこを「空間」として設計した。線じゃなくて、場所として。
「家の中でも外でもない、ちょっとしたあいだの場所」を意図的につくった。
テラス、縁側、廊下の少し広い踊り場。
そこで人が立ち止まる。隣の人と目が合う。「あ、おはようございます」が生まれる。
山本理顕が目指してたのは、「閉じるための建築」じゃなくて、「ゆるやかにつながるための建築」やった。
幼い頃の話がある。山本理顕が育った家は、前面に母親の薬局、奥に家族の生活空間がある町家やった。地域の人の往来と、家族の暮らしが、同じ場所で混ざり合ってた。
その感覚が、ずっとこの人の建築の芯にある。
「原体験ってでかいんやなぁ」と思いながら、また模型のほうへ戻った。


GAZEBO:自分の家をここまで考えるんかい
展示の中に、ひときわ目を引く模型があった。スチールフレームが格子状に組まれた、複雑な構造。
これがGAZEBO(ガゼボ)という建物で、山本理顕本人の自邸らしい。
「自分の家をここまで考えるんかい!」
横浜に立ってて、屋上にテラスや膜屋根がある。朝に金魚の世話をしてると、近所の屋上にいる人と目が合って挨拶できる。地上4階くらいの高さで、地域の日常が起きてる設計らしい。
「こんな家、面白いなぁ」と思った。
(同時に「このテラス、掃除どないするねん」とも思った。でも考えてみたら、それが狙いかもしれん。テラスを掃除するために外に出る。外に出たら誰かと目が合う。外に出る口実を、建物の中に仕込んでいる。)
模型の中に、2センチの人間がいた。屋上テラスに、ちょこんと立ってた。金魚鉢のそばに、もう一人。
「こいつら、ちゃんと生活してるんやな」


模型がどんどんスケールアップしていった
家、から始まって、集合住宅、そして都市へ。どの模型にも、あの2センチの人間がいた。廊下で話し込んでたり、中庭でたむろしてたり。
Hotakubo Housing(熊本)の模型があった。110家族が住む団地らしい。
正直、最初は「団地か」と思った。
団地って、とりあえず住めればええやん、って感じやん。
でもこの模型は違った。なんか、楽しそうやった。
住戸が中庭への「門」になるよう配置されてて、外から中に入るには必ず誰かの家の前を通る。2センチの人間が中庭に集まってた。
「なんか、ちょうどええ距離感やな」と思った。
韓国の集合住宅の模型(Pangyo Housing系)では、各住戸に「Shiki(しき)」という縁側のような空間があって、2階のデッキが住戸をつないでた。
「集合住宅やのに、人が会える設計になっとるんや」と思った。
都市スケールの模型では、街の中に緑のパッチが点在してた。約400〜700人単位のコミュニティで共用部を持つ、という「地域社会圏」の提案やった。
「一住宅=一家族」という前提を、ずっと疑い続けた人の話やった。
冒頭で「建築なんて、住めればええやろ」と言った僕が、団地の模型を見て「楽しそう」と思ってた。
山本理顕に、じわじわやられてた。
気づいたら、1時間経ってた。
妻が戻ってきた。「まだおったん?」
はい。2センチの人間たちと一緒におりました。






美術館を出てから、やっとわかった
展示を見終わって、また館内を歩いた。
廊下の向こうに海が見える。壁の丸い穴から光が入ってくる。
建物の内側にいるのに、外の世界が「すーっと」入ってくる。
そこで気づいた。
入口に着く前から景色が良かったこと。屋上の床が光を通してたこと。全部、仕掛けやった。
展示を「見せる」より先に、この建物が「感じさせて」た。
後から調べたら、横須賀美術館そのものも山本理顕の設計やとわかった。
会場が作品で、作品が会場やったんやな。
「建築展に来たのに景色ばっかり見てた」のは、山本理顕に操作されてたということや。
見事にやられた、と思った。


まとめ
美術館を出た後、もみじと海沿いを散歩した。
もみじは鼻をひくひくさせながら、うれしそうに歩いてた。
「ごめんな、待たせて」
しっぽが揺れた。
許してもらえたかどうかはわからん。でも、もみじが鼻を向けてた海の方向に、さっきまでいた横須賀美術館があった。
山本理顕が50年かけてやってきたことを一言で言うなら、こういうことやと思う。
「ちょっとしたあいだの場所があれば、人は自然とつながれる」
テラス、縁側、中庭、半透明の屋根。そういう「余白」が、人と人をつなぐ条件になる。
それは建築の話だけじゃないかもしれん。
職場に、ふらっと話せる場所を置くこと。玄関の前に小さな花を置くこと。エレベーターで乗り合わせた人に、ひとこと声をかけること。
「しきい」は、どこにでもつくれるかもしれん。
そんなことを、横須賀の2センチの人間たちに教えてもらった気がした。
山本理顕はいまも、「東京の再開発が都市の心を壊している」という趣旨の発言を続けてるらしい。
模型をぼーっと眺めてた50代のおじさんにも、その言葉の意味が、なんとなくわかる気がした。
建築に詳しくなくても、美術館の見方は自由でいい。
作品名を全部覚えなくてもいいし、専門用語を理解できなくてもいい。
「なんか気持ちいいな」
「この模型、細かいな」
「ここに住んだらどうなるんやろ」
そんな素朴な感想からでも、建築はちゃんと楽しめる。
僕にとって山本理顕展は、建築を勉強する時間というより、「人と人の距離感」を少し考え直す時間やった。
なお、横須賀美術館は2026年8月頃まで改修工事のため長期休館中です。
場所はGoogleマップで横須賀美術館を見るから確認できます。
再開されたら、ぜひ行ってみてください。
建築に詳しくなくても全然大丈夫やった。むしろ詳しくない方が、景色や写真に素直に反応できて、ちょうどよかったかもしれん。
あと、美術館の外側がとにかく気持ちよかった。入る前に「もうここでええんちゃうか」と思うくらい。
犬は連れて行けへんけど、帰りに海沿いの散歩コースがある。10月の曇り空でも、十分気持ちよかったです。
参考:山本理顕は2024年にプリツカー賞を受賞。横須賀美術館の山本理顕展 公式ページでは、本展が山本理顕の設計思想を総合的に紹介する展覧会として案内されています。休館情報は横須賀美術館の長期休館のお知らせを確認しました。
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